月刊『Hanada』2020年1月号で小川榮太郎氏が
「『伊藤詩織』に群がる面々」という記事を
書いていた。記事にしたのは三度目らしい。
「改めて書くことはない」と冒頭で記して
いるのだけど、あれやこれやと縷々綴っている。
まず詩織さんが法廷で陳述した最終弁論の
一節を紹介している。
「前回の尋問で、準強姦は意識のない間に受ける
被害だから強姦より被害が軽いのでは? との
質問が被告代理人よりありました。
被害の重さは体験した者にしかわからず、
それぞれ比較するなど到底できないことだと思います」
そりゃそうだろう。
そもそも被告代理人のこの質問自体が
セカンドレイプであり、じつに腹立たしい。
それに対して、詩織さんは至極真っ当な答えを
しているのである。
にもかかわらず、小川氏はこれを
「目を疑った」「唖然とした」と書いている。
なんで???
理由はこうだ。
民事訴訟で彼女が生々しく訴えていた強姦などが
すっぽり抜け落ちているから。
たったそれだけ。
それだけで、詩織さんが、自分の受けた被害は
「準強姦だと言っているに等しい」、
「自らの被害を『準強姦』であるとする線まで
後退している」などと断じ、山口氏の人権はどうなるのか
と指摘しているのである。
唖然としたのはこっちだよ。
言っていないことをよくまあここまで、
さも正しいことであるかのように書けるよね。
で、彼女が対戦ラインを「準強姦」まで後退させたのは、
自分の記事と動画をチェックしたからだ、と言う。
推測に推測の上塗り。漆塗りか。
そしてあとは詩織さんに関する自分の投稿が
フェイスブックで勝手に削除されたことへの不満、
ついでにモリカケ問題に関する自著が朝日新聞に
訴えられたのに、大手メディアから黙殺された不満、
また自分の記事が「新潮45」廃刊のきっかけに
なったはずなのに、誰も取材にこないという不満・・・。
「なかったこと」にされていることへの怨嗟が
次から次への噴出している。
何だか読んでいて気の毒になってくるほど。
挙句に自分の「ファクトチェック」や「イデオロギー批判」が
社会的粛清を被り続けていると(これまた)断じている。
私は、私が書いた記事がなんの反響もなければ、
相手の心には響かなかったのだろうと、まず思う。
説得力がなかったか、共感を得られなかったか、
あるいは批判にも値しない記事だったか。
つねにそれを自分に言い聞かせ、省みる材料にしないと、
ラクチンな独りよがりへとあっという間に転げ落ちる。
私は正しい!
間違っているのは大手メディアだ! 大手出版社だ!
いや、これは巨大ネットワークの陰謀だ!!!
……私なら間違いなく黙殺します。
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